五十四の瞳


 先日、文学座「五十四の瞳」を観劇。戦後、在日朝鮮人は日本の学校で学べと朝鮮学校を廃校にする動きが強まった。その時、27人の子どもたちを卒業させるために学校を守ろうとがんばる教師、卒業生の活動を芝居にしたものだが、こうした闘いの歴史を受けつぎ、多文化共生の拠点として、地域交流の拠点として墨田区の東京朝鮮第五初中級学校が存在している。

 その学校の耐震化、人工芝化、校内リノベーションの完工記念感謝際の案内がきたとき、絶対に行きたいと思って本日の感謝祭に参加。「五十四の瞳」にでてくる朝鮮学校は保護者によってつくられたもので、この第五初中級学校の耐震化なども卒業生を始め、たくさんの人々によってなされたものとのこと。
 私の実家(福岡県大牟田市)にも朝鮮学校があり、今は福岡のほうに移転している。大牟田は三池炭鉱があったが、戦前は国民徴用令が適用されて朝鮮人、中国人を強制連行して三池炭鉱で強制労働を強いていた歴史がある。朝鮮学校の存在は、この過去の歴史に真摯に向き合うことを常に求め、多様性を認め合う社会をつくろうと発信している存在でもある。