中島辰猪医師没後80周年記念集会

 戦前の無産者診療所で民主医療の発展に活躍した中島辰猪医師の没後80周年記念集会が開催された。国民救援会葛飾支部日本共産党葛飾地区委員会や医療関係団体など7団体が呼び掛けたものだ。
 全国で2番目に区内青戸に、5番目に区内亀有に、農民と労働者のために次々に無産者診療所が開設された。中島辰猪は、その所長として活動し、1931年11月江東無産者診療所設立準備娯楽大会であいさつ中に検束、翌年29歳の若さで死んだ。
 中島辰猪は、九州大分県出身なので何となく親しみを感じる。
 1933年には渡辺宗治医師が亀有無産者診療所に参加し、同年3月に砂間あき等と共に三陸地震の救援活動に行ったことは有名だ。区内では同年代に古川苞が東京の党再建の責任者として活動していたが35年に渡辺医師の治療を受けながらも12月に29歳で死んでいる。
 戦前の物言わせぬ暗黒政治の中でも命がけで活動していたことに敬意を表し、その志を受け継ぐことを胸に刻んだ集会になった。 
 橋下大阪市長の「思想調査」は、権力さえ握れば何でもできるという天皇絶対の戦前の恐怖政治と共通する。絶対に許してはならない。 


集会では2人の記念講演の間に男性コーラス「フォルテ」の合唱が披露された。