お世辞とわかっていても

 昨日、今日と新年会があったが、いずれもうれしいことがあった。お世辞ではあるが、昨日は、あいさつをさせていただいたが、そのあいさつを聞いて「弁がたつようになったね」と言われたこと。この方は知っている方だったが、今日は、面識がない方から「私は三小田さんが大好きなんだ」と言われたことだ。この方は高砂駅でいつもあっているといわれていた。
 お世辞とはわかっていても、こういう一言でホッとする自分がいることも確かだ。ありがたい。